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まぐろ食文化の歴史

石器時代

東ティモールのジェリマライ遺跡。4万2000年前の地層からマグロの骨が見つかっています。 ネアンデルタール人が闊歩していた旧石器時代にどうやって獲ったのでしょうね。

縄文時代

東日本大震災の復興に関わる発掘調査で、宮城県気仙沼市唐桑町の波怒棄館(はぬきだて)遺跡の約5500年前(縄文時代)の貝塚から、大量のマグロの骨などが出土しています。
縄文時代にマグロ漁の村があった?-東日本大震災の復旧・復興に伴う発掘調査の成果(PDF)

包丁代わりの石器の破片が刺さったままの骨もあり、周辺にマグロを解体する施設があった可能性を示されています。マグロの骨には数十センチごとに切断した痕があり、骨の大きさから体長2メートルを超える大型マグロだったこともわかっています。

狩猟・採集の時代は食べ物を求めて移住しました。やがて、農耕が始まると人々は定住せざるを得なくなりました。というのが、ヨーロッパ的歴史文化論です。確かに、日本でも弥生時代に水稲栽培が多く広まり、うろちょろする日本人は減ったのでしょう。

ただ、国土が狭く、海の幸・山の幸に恵まれた日本列島では、縄文時代の人々も定住していました。なので、日本には縄文時代の遺跡が多く出土します。マグロのような大型魚を解体して、多くの人で分け合って食べることも可能だったのでしょう。

奈良平安時代

古事記、日本書紀、万葉集に「鮪」の文字があります。

和名抄(和名類聚抄/倭名類聚鈔)という平安時代の漢和辞典には「之比(シヒ)」として紹介されています。その後長く「シビ」と呼ばれていたようです。「マグロ」と呼ばれるようになったのは江戸時代以降らしく、「真っ黒」や「眼黒」が訛ったと考えられます。

「酸し」語源の寿司も、何日もかけて発酵させるナレズシ(熟れ鮓)に始まりました。文字に残っているのは、平安時代の延喜式(法令集)です。まだ、マグロは寿司種に用いられていませんでした。

江戸時代

まぐろ食文化は、かなり後期の頃になって江戸庶民に定着したようです。それはそうですよね。東京湾にマグロは泳いでいません。当時は冷凍冷蔵の技術がありませんから、遠地から鮮度を保って江戸の台所までは届けられませんでした。

ところが、文化7~8年(1810~1811年)の冬に、「総豆相の三州にて一日一万本を獲る」と伝えられるほど、三崎のある相模の国や伊豆の海でマグロの大漁が続いたのだそうです。その異変で持て余されたマグロが安価で江戸庶民にまで届けられたと言われています。

それでも、最初は日持ちしやすい「ヅケ」でした。この時代の寿司自体、味を付けた煮魚が主流でした。

天保3年(1832年)、再び大豊漁で値崩れを起こします。それを、夷屋(えびすや)という寿司屋が試しに生で使ってみたら、一大ブームになったというのです。生のマグロに醤油を添えたことで、現在の「江戸前ずし」のスタイルが確立されました。和食には切っても切り離せない醤油とのマリアージュです。

押し寿司でもない握り寿司は、寿司屋も屋台形式ですし、明らかにファーストフードだったのです。美味しいマグロを気軽にお腹いっぱい食べたいものですね。例えば、毎月16日は「トロの日」です。この雑文をお読みいただいた機会に、まぐろ食文化を楽しんでみてください。

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